完全な独学のやばさ
テレビや選挙とかの人物紹介で
「プログラミングを独学」「イタリア語を独学」「忍術を独学」
この表現、結構よく見るがなんか頭の良さそうな感じで羨ましい。
例えば
2003年6月22日神奈川県に生まれる。
高い身体能力を持ち、歩行、会話を独学。
これだけで才能が溢れていそうな感じが出ている。
独学の定義が気になって今日調べてみたら、先生に教えてもらわずに、独力で学習することらしい。
つまり数学を塾の先生に教えてもらわずに、教科書、参考書を読んで学べば数学を独学したと言えるのだ。
ということは、先生の話を聞かずに教科書を読み勉強する僕は
「義務教育を独学」
と言えるのではないか。
「義務教育を独学」
この言葉には字面から思い浮かぶ勤勉、秀才というよりも、捻くれた集団行動ができない中二病の頭悪いやつという意味が皮肉をもって込められているが。
しかし、一切の本を読まず、完璧に自分の思考のなかだけで学習する、それこそが完全な独学と言えるのではないか。
誰かが書いた本で学習する、そんなものが独学と言えるのだろうか。いや、言えないだろう。
実際僕にもそんな時期があった。
3歳の頃に親に足し算引き算を教えてもらい、6歳の頃には3桁の足し算引き算ができるようになっていた。
(今気になって調べてみると、2、3歳から足し算引き算ができると、将来頭がよく育つらしい。その親の努力も空しく、学校に行かず頭の悪い子供に育ってしまったのは運が悪かったのだろう。)
なんだ独学じゃないじゃんと思われるかもしれないが、一応3歳で簡単な足し算引き算を教えてもらっただけでそこから3桁に拡張するまでは完全な独力である。
流石に足し算引き算の概念を自分で思いつくほどの天才ではなかった。
もしそんな化け物だったら3桁の足し算引き算どころの話ではないだろう。
しかし、3歳から6歳の間で脳の成長と共に計算可能な桁を少しずつ増やしたというのは、足し算引き算が考案されたころくらいの数学者がより多くの桁に拡張していく正に数学(算数)の発展の歴史を個人で辿っているのだ。
この計算法が原始人たちと同じくらいの頭脳を持っていたと考えれば、当時に生まれていれば間違いなく天才数学者の一人になっていただろう。
これに関しては、生まれる時代を間違えてしまったことを嘆くしかないのかなと思う。
しかし、繰り上がりや繰り下がりの概念を考えられたことに関しては、紛れもなく原始時代の数学者に勝るとも劣らないほどの功績(自分の中では)だった。
このまま完全な独学を続けていたら、ノーベル賞をとれたかもしれない(!)
しかしこの完全な独学は、小学校に入り、より洗練された筆算という計算方法を知ってしまったことにより幕を閉じた。
筆算すごい。