絵が描けるようになりたい

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ホラーと面白さ

ホラーと面白さの関連

ホラーと面白さには大きな関連がある。

 

僕はバイオハザードというゲームをやったことがあるが、怖いと思いながらも怖いもの見たさもあってかどんどん進めてしまう。

 

この怖いもの見たさという感情は、現実では起こり辛い。何故なら怖いものは非常に危険であり、それを体験しようというのは人間の生存本能に反している。

 

例えば、人間が怖いもの見たさで飛び降りるなんてことはしないだろう。そんなことをしたら死んでしまう。

仮に思ったとしても、それは明らかに損することが多いので理性によって抑えることになる。好奇心で飛び降りて死んでしまっては、より多くのことを探求できなくなってしまう。

 

しかし架空の世界では、この怖いもの見たさという感情は本人に一切の危険を及ぼすことがない。

上の例なら、このゲームは飛び降りたらダメージは受けるのかとか、死んだらどうなってしまうのかとか、好奇心次第でプレイヤーキャラクターの身を危険に晒すことを厭わない。

例え死んでしまったとしても、リセットすれば良いし、そもそもプレイしている人間自体は危険に晒されないのだからそれによって好奇心を途切れさせることはない。

つまり、いくらでも怖いもの見たさというものが増幅される環境なのだ。

 

また、怖いものを見た人間はそれが現実でないと認識することによってそれが快感に変わるという研究結果もある。

 

要するに、B級ホラーなどの現実でないホラーには知的好奇心や快感があるのだ。

より怖い作品を作るために

では、ホラーを提示する際、そこに現実性を持たせなければより怖い作品を作れるのではないか?

つまり、その恐怖が作品の受け手に身近に接近していると思わせることができれば、より強い恐怖を与えることができるのではないか?ということだ。

 

例えば、怖い話で殺人鬼がインターホンを鳴らして出てきた人を殺すような話があったとする。

 

この話自体は怖い話としての出来はとても悪い。しかし、この話を読み終わった直後にインターホンが鳴ったとしたらどうだろう。

 

この一瞬においての恐怖はかなり大きいだろう。いままで安全圏だと思って見ていた怖い話が急に自分に身近に感じる。これはとても恐ろしいことだ。

 

この場合にはインターホンを確認したら答え合わせができてしまうのでその効力は確認するまでの間だけである。喉元過ぎれば熱さを忘れると言うように、過ぎてしまえば怖さも怖くないのだ。

 

このような効果を持たせるために、登場人物が受け手を認識しているという手法が考えられる。

 

今までの作品であれば登場人物の行動を受け手がより高次元の存在から覗き見しているという構図から、お互いがお互いを認識するという構図にすることによってまるで今にも近づいてくるような恐怖を与えることができるだろう。

 

この自分を浸食するような恐怖というのは、どれだけこれからの恐怖がリアリティを増したとしても、それが売り物だとわかっている限りは得ることのできない最上級の恐怖だ。

 

しかし、その恐怖がどれだけ怖くても面白さが保証されているわけではないということは留意すべきである。

 

面白さを狙った恐怖だとわかってしまったらその恐怖は売り物になってしまうのだから。